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特養における看取り介護から看取り、お別れ・退居まで:100歳義母、看取り・見送り体験記-1

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少しずつ、よくなる社会に・・・

特養入所の100歳の義母を看取り、見送った1ヶ月:介護、お葬式・火葬、お墓、相続、納骨等終活関連体験記を(2022/9/16)

 前回の上記記事を受けてのシリーズ第1回。
 特養で迎えた義母の看取りについての体験を整理してみました。

「看取り介護」計画に基づく看取り体制とその業務概要

 特養での介護サービスは、ケアマネジャーが作成し、本人または後見の家族が確認した<介護サービス計画書>に基づき行われます。
 食事も水分もほとんど摂らず、便も出なくなり死期が迫りつつある状態において、再三、施設から「延命措置」をするかしないかの確認・意志表示を求められます。
 入所時においても、延命はしない旨伝えているのですが、施設としては、家族の気が変わることもありうるとして、念には念を入れていることは理解できます。
こういう状態においては、看護士を始め、スタッフ全員が、神経を研ぎ澄まして、介護・看護に当たってくれるわけです。
 そこで、8月11日から「看取り」介護の体制に入るとして、「施設サービス計画書」を作り直し、その計画書への署名を求められました.

 その書面の1枚目の<利用者及び家族の生活に対する意向を踏まえた課題・・・>には次のように書かれています。

100歳と高齢で傾眠されることが増えていました。
7月半ばころより食事量が減少。
8月に入り1口2口と食べられなくなってしまい、意識がないことが時折みられるようになりました。
主治医、長女夫婦には状態を以前より伝えており、令和4年8月11日より看取り介護を開始します。
本人:延命は希望していない。自然に任せて最期を迎えたい・
家族:高齢でもあり、延命はせず、食事も食べられるだけで。本人が苦しまずに穏やかに過ごしてほしい。

また同じく、<総合的な援助の方針>欄には、以下のように記してあります。

100歳と高齢で食事が食べれなくなっており、心身ともに低下が見られています。
いつ急変するかわからない状態で看取り介護が開始となりました。
本人が苦痛なく最期まで穏やかに過ごせるよう努めます。
・安楽で快適な状態で、穏やかに落ち着いて過ごす事が出来るよう支援します。
・清潔で快適に過ごす事が出来るよう支援します。
・体調の管理と異常の発見ができるよう支援します。
・無理なく食べられる分だけ食べて頂くよう支援します。

看取り介護期間、看取り介護加算

 その「施設サービス計画書」には、「看取り介護」期間が、8月11日~9月24日とされていました。
 現状の介護保険制度で「看取り介護」を適用する上では、以下のように一定の期間区分が設定され、それぞれの期間毎に<看取り介護加算>が行われるようになっています。

1.死亡日31日前~45日前:72単位(日)
2.死亡日4日前~30日前:144単位(日)
3.死亡の前日及び前々日:Ⅰ 680単位(日)、Ⅱ 780単位(日)
4.死亡日:Ⅰ 1280単位(日)、Ⅱ 1580単位(日)

看取り介護加算ⅡとⅠとの違いは、Ⅱでは、看護体制加算Ⅱを算定していることとあります。
詳細は省略しますが、Ⅱの方が手厚い介護・看護体制を敷き、予め認められている施設に適用されると理解しておけばよいのではと思います。


看取り介護とは

 順序が逆になりましたが、そもそも「看取り介護」とは、どういうものでしょうか。
「看取り」とは、無理な延命治療を行わず、自然に訪れる最期までの過程を見守って支援すること。
「看取り介護」とは、近い将来亡くなることが避けられない方を、身体的および精神的苦痛を緩和・軽減するだけでなく、人生の最期まで尊厳ある生活を支援する介護を行うことを意味します。

 看取り介護は、規定された看護士が配置され、24時間体制での介護を求められるため、非常に緊張感をもって介護・看護に当たることになり、利用者の最期を看取り、葬儀や火葬に備えて、特定の老人施設において最後の措置を行うなど、心身ともに大きな負担を強いられるわけです。
 そうした業務に従事することに対して介護保険制度では、特別に給付を増やし、前述のように<看取り介護加算>の支給を定めているのです。

 利用した特養の資料では、
・看取り介護加算(Ⅰ) 7,608単位限度
・看取り介護加算(Ⅱ) 8,108単位限度
とあります。
 この限度というのは、上記の区分毎に最長期間適用時の加算の合計額ではないかと想像します。
 今回の義母の場合、看取り介護計画に基づき行なった介護日数が、実際の看取り日まで短かかったので限度額にはかなり満たないのではと思います。
 しかし、まだ8月分の請求書が来ていないので、手元に来てから、通常月との必要額との違いを含め、報告したいと考えています。

いよいよ義母の看取りが現実に

 先述の8月11日からの看取り介護を正式に始めた8月11日の前日10日に、夫婦で面会に行った後、この看取り介護計画書に基づく体制では、事前の検温記録の届け出は不要になり、1日1回、家族は、部屋での面会が可能に。
 これまでは、施設の玄関口で、ガラス越しにしか顔を見ることができなかったのが、本当に久しぶりに義母の部屋での面会が実現。
 昨年の100歳の誕生日は、自室ではなく、職員の方々が用意してくださったお祝いの飾り付けがされたホールだったので、正確には、2020年5月の入所時以来。

 しかし、このところ増えてきていた、呼びかけても無反応の無意識及び無呼吸の時間・機会。
食事も水分もほとんど摂らなくなっていたことから、死期が迫っている状況、と施設に来るよう促され、豊田市に住む二女にも連絡して、私たち夫婦と3人で(義)母に会ったのが8月11日。
そしてこの日に、沖縄(石垣)、北海道(札幌)、名古屋とバラバラに暮らしている3人の息子たちに、「そろそろお婆さんのお迎えが来そう」とLINEで連絡。
 すると、ちょうど週末にかかるところだったので、遠方の2人が、急遽帰省することに。
 三男はちょうどお盆休みに入っているこの時期に、2週間の検温結果をもって面会に来る予定だったので、13日(土)に、彼の長男(義母のひ孫)を伴って面会に。
 一方、長男・二男は、家族1日1回という看取り介護時の面会規定により面会はできないと、このとき岡崎市内のコロナ感染者数が激増中であり、高齢者施設でのクラスター発生も相次いでいたことから、施設が非常になーバスになっており、強い姿勢での拒否。
 遠方から祖母とは最後の顔合わせになるという思いで駆けつけたことを、施設責任者に伝え、特別に認めてくれるよう交渉しても埒が明かず。
 なんとか配慮して、ベッドを廊下に移動して、外から窓越しにその姿を見、孫たちが来たことをスタッフが大声で伝えてくれる。
 これができうる限りの配慮と。
 翌日セントレアから帰る長男と二男を私が送ったので、結局これが祖母の姿を見るのが最後に。


看取り時の状況と、看取り後の対応

 そして、16日夜、施設から最期が近い旨連絡が入り、妹にも連絡し、すぐに特養に。
 駆けつけた2人の娘とそれぞれの夫の2夫婦が見守るなか、看護士さんやスタッフの呼びかけへの反応もなくなり、21時20分に、看護士が呼吸が止まったことを確認。
 しばらくして施設の主治医が到着し、正式に、21時44分死亡を確認。
 医師を待つ間に、既に打ち合わせを済ませていた葬儀社に死亡の連絡を入れ、翌日の迎えの時間の折り返しの連絡待ち。
 程なく連絡が入り、翌日午前9時15分に、特養に迎えが来て、葬儀社の安置室に移送する段取りに。
その旨、施設にも伝える。
 医師の死亡診断が出たあと、施設職員が、亡骸をきれいにし、事前に渡していた衣類に着せ替え、薄化粧も。
 その永遠の眠りの姿を確認して、私たちは帰宅。

 明けて、8月17日同時刻に、葬儀社スタッフが寝台車で迎えに来て、義母を自室からストレッチャーに移し、同車に。
 2年3ヶ月半過ごした特養とお世話になったスタッフの方々の深々としたお辞儀でお見送り頂き、別れを。

 この後、葬儀場で、未払い分の費用の支払いを行い、火葬等の打ち合わせを同社スタッフと。
翌18日午前火葬し、終了後、特養に、退所の諸手続きに、19日に伺う旨確認。
 19日午後、特養に出向き「退居届」に署名捺印し、預かりになっていた社会保険関連証や印鑑、預金通帳などの返却を受ける。
 ついでに、義母の部屋から移されていた所有物・物品などの保管室を確認し、取り敢えず持ち帰ることができるダンボール箱等を家に持ち帰り。
 その後、車いす、特殊なベッド・マット、タンス、TV等残りの大きな物の運び出しを、2年前のサ高住からこの特養への引越し時も世話になった便利屋さんに連絡をとり、翌週22日(月)午後特養待ち合わせで依頼。
 その旨特養に連絡。
 22日残る物品の搬出を完了。
 そして、24日(水)同所施設長に最後の御礼に伺い、特養との縁を終了。

看取りをめぐり慌ただしく流れていった日々の記録

 特養での看取りとその対応の進行を整理すると、以下のようになります。

・8月11日(木):(特養で)看取り介護体制に
・8月12日(金):長男、石垣より帰省
・8月13日(土):二男、札幌より帰省
         孫である長男・二男との外からの窓越しでのほとんど意識のない祖母との対面
         同じく三男とその子ども(ひ孫)との自室での面会
・8月14日(日):長男・二男を空港まで送り
・8月15日(月):この日も状況がよくない旨看護士から連絡があり、夫婦で面会に
・8月16日(火):午前、夫婦で面会に
        :夜、予断を許さない状況との連絡で急ぎ施設へ行き、2夫婦で臨終に立ち会い。
         死亡診断書受領
・8月17日(水):特養から、葬儀場へ移送し、納棺と安置
・8月18日(木):葬儀場から出棺し、火葬場に。火葬・骨上げ後帰宅
・8月19日(金):(特養)退居届、各種保険証等預かり品受け取り。
         一部物品搬出・持ち帰り
・8月20日(土):持ち帰り物品の整理と処分
・8月21日(日):(義)母の未整理分の所持品等の整理・処分
・8月22日(月):施設から、残りの所有物品全部を搬出
        :岡崎市役所支所に、市管轄社会保険関係証書類返却と必要手続き
        :年金機構に、年金関係の届け出をすべく訪問したが、事前予約が必要と無駄足に
・8月23日(火):翌日の特養施設長への挨拶時持参物を買い求め
・8月24日(水):特養施設長に挨拶


すべての期間、コロナ下における入所生活。通常面会禁止だった2年余の特養生活

 以上のように、追われるようにというか、何とか円滑に事が運ぶように、と、日々慌ただしく、かつ計画的に、看取りと見送りにより行うべき必要事への対処・対応・諸手続きを進めたわけです。

 思い返すと、サ高住生活において、2019年の終わりに二度目の左脚大腿骨骨折にあい、要介護4への認定により特養探しを始め、運良く新たに開業する特養への入所が決定。
 その時期、新型コロナ感染パンデミックの第1波で、国中騒乱状態に。
 4月に同施設で行われた入所説明会は、運悪く異常に冷え込んだ日であり、広い廊下に机を相当離して配置し、窓を開放した廊下で実施。
 ブルブル震えながら長時間説明を聞かされたことが思い起こされます。
 5月1日の入所以降、原則面会は禁止。
 できても、施設の玄関口に当たる場所で、義母は、ガラス越しに見るだけ。
 途中から、2週間検温結果を記録して事前予約した場合のみ面会可能に。
 一応、定期的に月に何回か私たちも次女もおやつになるようなものを差し入れしてきましたが、顔を見ることはなく、職員に手渡すだけ。

 そうした時間が流れていく中で、職員の方々にも祝って頂き、昨年10月に満100歳を迎えたのですが、それ以降の衰えが、思いのほか速かった。
 しかし、最後まで、特養のスタッフの皆さんの温かい介護・看護を受け、長寿を全うできたこと、有り難いことでした。

 要介護4にいきなりなり、特養に入所が可能になったことで、経済的な負担が大きく改善され、介護保険制度の利点を享受できるようになったことも幸運でした。
 5年近くのサ高住生活を含め、介護をめぐる経済的な問題は、この体験記シリーズで取り上げる予定です。

 今回の看取り介護による看取りから当然必要となるのが、葬儀・葬式。
 次回は、看取り後の見送り、葬儀・葬式・火葬に関する体験を整理してみます。


少しずつ、よくなる社会に・・・

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