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異次元の金融緩和、アベノミクス、現状の米国インフレ対策を経済学はどう見るか
20年、30年後の社会を生きるすべての世代へ
中野剛志氏著『世界インフレと戦争 恒久戦時経済への道』(2022/12/15刊・幻冬舎新書)を参考にしての【『世界インフレと戦争』から考える2050年安保とベーシック・ペンション】シリーズ。
このシリーズも以下の<第9回>を終え、残すところ2回となっています。
◆ 恒久的戦時経済が示唆する平時経済のあり方とベーシック・ペンション:【『世界インフレと戦争』から考える2050年安保とベーシック・ペンション】シリーズー9(2023/2/2)
本書では、
インフレを、デマンドプッシュ・インフレとコストプッシュ・インフレに区分。
パンデミックやウクライナ戦争を要因とするコストプッシュ・インフレ対策としては、主流派経済学に基づく「利上げ」政策は効果をもたらさず、積極財政が望ましいと、ポスト・ケインズ派の貨幣循環理論と現代貨幣理論MMTを用いて主張。
また同書の中で中野氏は、安倍内閣が取ったTPP推進政策や財政規律主義=緊縮財政政策を鋭く批判している。
その安倍政権下で、日銀が政府の意向を汲み取って異次元の金融緩和政策を取り続けてきたことは、一面中野氏の主張と重なるのだが、意に反して、日本は失われた10年、20年と称されるデフレ経済の長期化を招いてしまった。
ここに来ての急速な物価の高騰とインフレは、異次元の金融緩和がめざした2%というインフレターゲットを、いとも簡単に超え、日本の日常生活と企業活動に大きな影響を及ぼしている。
こうした状況下、このシリーズでは、インフレ政策やそこでの利上げ政策に対する経済学的見地からの評価や批判等を読み、提案している日本独自のベーシックインカム、ベーシック・ペンション生活基礎年金と関連させて論じてきている。
そのため関連する記事や情報にも、以前より目が行くようになっている。
そこで、最近の日経から興味を引いた記事をピックアップしてみることに。

日経1月下旬の<経済論壇から>:黒田日銀異次元の金融緩和の10年
まず、2023/1/28付け日経。
土曜日に時々掲載されている<経済論壇から>欄での土居丈朗慶大教授の書評から。
同欄には、注目しており、時々そこで紹介された新書や選書など、これまで入手することもあった。
⇒ 黒田日銀の10年を問う: 日本経済新聞 (nikkei.com)
「黒田日銀の10年を問う」と題して、数人の経済学者が週刊誌や日経に掲載した記事を取り上げ、寸評を加えたもの。以下、簡単に紹介を。
昨年末の日本銀行による、長期金利の変動許容幅の0.5%程度引き上げ。
この「サプライズ」金融政策転換により、黒田日銀総裁の10年間の政策運営を振り返る考察が種々行われたことを受けてのものである。
1)岩田規久男学習院大学名誉教授(週刊東洋経済1月21日号):黒田総裁体制下で副総裁
・この間の金融政策を「『よく頑張った』と評価してほしい」と
・アベノミクスの3本の矢のうち財政政策と成長戦略の2本は機能せず、金融政策の「一本足打法だった」という理由から
・異次元緩和が2年で2%の物価上昇を実現できなかった原因は、2014年4月の消費増税。
・黒田総裁が増税延期に否定的だったことを、「自分で自分の首を絞めてしまった」と批判
2)西村清彦政策研究大学院大学特別教授(月刊金融ジャーナル1月号):2013年3月まで日銀副総裁
・消費増税は物価目標未達の免責理由にはならない
・金融政策担当者は消費増税の影響も考慮して政策運営を行うべき、と
3)白川方明青山学院大学特別招聘教授氏(週刊東洋経済1月21日号):黒田日銀総裁の前任者
・2013年1月政府・日銀の2%目標明示「共同声明」(同氏もその声明当事者)と、その後の10年を総括
・国債の無制限の買い入れ(量的緩和拡大)により日銀が財政ファイナンスの機関と化し、経済成長を阻害することなどを懸念し、その政策効果にも否定的だった、と
・しかし、共同声明は、大規模緩和政策で「問題は解決しないのを社会が理解することに希望をつないだ」と。
・同氏の懸念は潜在成長率や財政規律の低下により的中した格好だが、共同声明の今後については「内外の議論の進展を待つ」とし、性急な改定の立場はとらなかった。
⇒ 私としては、今となっては、責任回避とまではいかなくても、都合のいい言い分だな、と少々白々しく思えるのですが・・・。
4)星岳雄東京大学教授(1月6日付経済教室)
・財政規律への懸念が金利急騰を通じ、金融政策を難しくするリスクに警鐘
・昨年末の日銀の金融緩和縮小の時期が内閣府の中長期試算よりも早いと指摘
・金利上昇が政府債務の増加を加速させ、市場の信認を失う可能性を重くみる
5)大阪大学名誉教授の猪木武徳氏(1月4日付経済教室)
・日銀が量的緩和を続けると主張するだけでは、今後の政策転換の可能性を閉ざしてしまうと懸念
次に土居氏は<経済学の変節と本質>という視点で、3人の専門家の論を紹介しています。
6)吉川洋東京大学名誉教授氏(週刊エコノミスト1月31日号)
・日銀が2%目標や大規模緩和に踏み出す際に依拠した経済理論は、人々が物価に対して抱く「期待」である、と物価に関する一般的な論をまず紹介
それに対して、同氏は、経済学における期待の概念に疑問を投げかける、と。
・1960年代後半から力を増した期待の理論は、お金の量を増やせば消費者は物価が上がると予想し、現実の物価も上がる、と立論
・しかし調査によれば、多くの消費者がそもそも日銀の物価目標を見聞きしたことすらない。
・自分の知らないものが期待を動かすことなどありえず、政策運営の指針となるはずの経済学が不毛な知的遊戯に変わったと同氏は批判
⇒ 素人の私は、経済学者という仕事とその存在自体に少なからぬ疑問を持っています。
その「知的遊戯」とする「知的」性とは一体どういうものかにさえも。
7)中曽宏大和総研理事長氏(週刊エコノミスト1月31日号)
・経済事象を引き起こすメカニズムを解明するとともに、そこに潜む社会問題に着眼することも経済学の役割であることを小宮隆太郎東京大学名誉教授(昨年10月逝去)から教えられたと語る。
8)向山敏彦米ジョージタウン大学教授(週刊東洋経済1月21日号)
・経済成長は環境によくないから止めるべきだとの主張に、経済学の立場から反論
・経済成長とは国内で作られる財やサービスの総価値が増えることであり、経済学で総価値とは、「価格×数量」の和である、と
・数量を増やすだけが経済成長を実現する手段ではなく、財の質を考えれば「環境に負荷がかからない経済成長」も可能である、と
以上のまとめとして土居氏はひとこと「経済学の深い含意が広く理解されることを願う」と。
経済成長を実現するための経済学か?
以下は、上記を受けての私のメモ。
人口減少社会・時代において経済成長をどう捉えるか。
総価値である「価値✕数量」の数量が人口であるとすると、結局「付加価値」を上げるべきとなり、上記の吉川洋氏などは、当然のように「労働生産性」の向上、そのための「イノベーション」の必要性を主張する。
私は、少子高齢化・人口減少社会において、単純に「労働生産性」向上の必要性を喧伝することには疑問を持っている。
そういう議論も、「知的遊戯」の一種と言えるのではないかとも。
理由の一つは、AI社会の進行による付加価値・労働生産性向上と向かう方向が逆の、エセンシャル・ワークの不可欠性と必要性の高まり、それに伴う生産労働人口におけるその構成比の高まりを想定しておくべきと考えるからである。
そこでの労働にそれらのサービスに対する満足感を抱く人々が増え、広がっていくことは望ましいことである。
しかしそれらに付加価値を増やし、労働生産性を上げることを求めるのは筋違いだろう。
本稿の目的から外れたので、ここはこの程度で。
また別の機会にと思います。
この他、当<経済論壇から>では、「良い賃上げの実現には」をテーマに、1月の日経<経済教室>欄掲載の、やはり生産性と賃金とを結びつけての2人の女性研究者の小論を要約していますが、これも別の機会にとして省略します。

軽部謙介氏著『アフター・アベノミクス ー 異形の経済政策はいかに変質したのか』(2022/12/22刊・岩波新書)
主に安倍内閣時代の黒田日銀総裁による異次元の金融緩和、金融政策の評価が課題となれば、上記の岩田氏のコメントにある「機能しなかったアベノミクス」及び「その3本の矢のうちの2本、財政政策と成長戦略」についての評価・分析にも目が行きます。
まあこれらも既に談論風発、種々論じられてきたことですが、上記の<経済論壇から>を用いての本稿投稿を用意している段階で、昨日2023/2/2付日経優夕刊の「入山章栄氏が選ぶ一冊」欄に、格好の新刊新書の書評が。
⇒ 経済政策巡る対立と苦悩 入山章栄氏が選ぶ一冊: 日本経済新聞 (nikkei.com)
「経済政策巡る対立と苦悩」
こう題した書評ですが、以下そのエッセンスを。
アベノミクスの背景を描く、著者によるシリーズの第3弾。(ということです。他の2冊追って調べてみます。)
安倍政権後半期から現在の岸田政権までの財政金融政策をめぐる政府・自民党・日銀・財務省官僚の動向と対立を鮮明に描いた書。
現在のマクロ経済政策がいかに「正解がない」ものかがわかる、と入山氏。
各々のプレーヤーが信じる政策を是として対立し、反発し、時に政争の道具としてマクロ経済政策が決まっていくというわけだ。
先行した2冊を確認すべきと思うが、この第3弾の大きな柱は「リフレ派の積極財政派への転換」。
2%物価目標はすぐに達成できると日銀も安倍首相も考えていたが結果は・・・。
そこで「リフレ派」が積極的財政出動を促し、財源は国債に。
この積極財政を抑えようとする財務省の苦悩も描かれる。
そして本書の入山氏の本書自体への評価。
経済政策を巡る書籍は著者が自説に誘導しがちだが、本書は比較的フェアに書かれている。
何よりここまで克明に取材していることに敬意を表したい。「経済ジャーナリズム」を体現した一冊と言えるだろう、と。
フェアとは一体どういうこと、どういう状態、どういう内容を言うのか。
関心はあるところだが、先に述べたようにこれまでにさまざまな評価や批判はなされてきており、それらの反復になるだろう。
また、より厳しい言い方をすれば、こうした過去にはさほど学ぶべきはないのではないかという思いが実は強い。
人間は過去から学ぶといい、学ぶべきというが、学者・研究者の多くは自説を曲げないし、簡単に転向もしない。
まして経済学の領域になると、ここまで、そして、次のもう一つの記事でも分かるように、主流派と称されるグループへの信奉と傾斜の具合はなかなか変わりようがない。
その恒例とも言える、次の記事に移ろう。

主流派経済学を前提としてのアメリカにおけるインフレ抑制策・利上げをめぐる動向記事
最後に、本日2023/2/3付日経1面の次の記事から、一部参考にして、冒頭の書からの関心の続きとしての目についた記述とメモを。
⇒ 米利上げ、停止時期探る FRB、0.25%に縮小 市場の楽観論けん制 :日本経済新聞 (nikkei.com)
2022年3月以来8会合連続の利上げで、政策金利の指標であるフェデラルファンド(FF)金利はリーマン・ショック前の2007年10月以来の4.5~4.75%に。
冒頭の中野氏の著『世界インフレと戦争 恒久戦時経済への道』でも現在のインフレと比較紹介された2008年のリーマンショック後のインフレ。
その2008年の7月から8月にかけて、一時的に物価上昇率が5%を超えたことがあったことが紹介されている。
それと比較しつつ、同書では、およそ40年ぶりと言われるアメリカの2021年から2022年にかけての高インフレにおけるFRBの金融政策の推移を詳しく紹介し、利上げが誤った政策であることを批判。
2022年にかけてのインフレ状態は今も続き、その対策としてのFRB及びFOMCの利上げを巡る動向を示したのが今日の先述の記事というわけだ。
・FOMCは声明文で「継続的な利上げが適切」との従来表現を残し、市場で浮上していた次回の3月会合での打ち止め観測をけん制
・FRBが物価目標として重視する米個人消費支出物価指数は2022年12月前年同月比5.0%上昇で3カ月連続鈍化。一方失業率は12月も3.5%と低く、景気後退を避けながら2%の物価目標に到達する軟着陸シナリオはこれまでのところ順調
・先行きは「勝利宣言や勝負がついたとするシグナルを送ることには慎重になる」と。
・当面は新たな経済見通しを示す3月会合に向け、経済や物価の動向を慎重に見極める考えも改めて強調。
・インフレが早期に沈静化し、引き締めが想定ほど厳しくならないとみる市場の楽観論を警戒した
・年内利下げを市場が織り込んで金利が全般的に下がれば、引き締め効果がそがれる懸念も
・「歴史は金融緩和への転換を早まらないよう戒めている」と、引き締めを貫徹できずに高インフレの長期化を招いた1970年代の再来はないとする決意をFRB議長は強調した。

歴史に学ぼうとするそして失敗に学ぼうとする意志に溢れた発言というべきでしょうか。
しかし、そこでは、中野氏が支持した異端とされるポスト・ケインズ派の金融財政政策に関する意見は引き合いに出されるはずもなく、一般的とされる主流派経済学理論に基づくインフレ対策としての、中銀による利上げ政策動向が、疑いもなく紹介され、論じられています。
そこでは結局入山氏の先のひとこと、「マクロ経済政策がいかに「正解がない」ものか」が分かった上、知っての上での諸作業が、これからも延々と行われて行くのでしょう。
経済学の存在意義とは
経済学における意見・理論の違いとその是非について論じる能力は私にはありません。
こうした現実に取られる判断と結果の成否も、長い目で見れば、どちらと断定することも不可能なのかもしれません。
しかし、こうした判断を次から次へとしなければいけない状況を招いた根本的な原因・要因については、結局鶏が先か、卵が先かの議論しか、経済学においてもできないのでは、とまたまた素人そのものの発想しか思い浮かびません。
なぜなら、いずれの経済学も、誰の経済学も、理想とする社会とその経済の在り方を実現できていないからです。
部分部分、歴史の特定した時期だけを切り取ってのノーベル経済学賞とその受賞者は、どんな経済成長、付加価値向上、労働生産性向上そしてイノベーションを自ら創出したのか。
そういう疑問を抱きながらも、種々の社会的経済的課題に対する解を考え、求め続ける。
しかしそういう懐疑的な気持ちに取り憑かれて思考が停止することが不思議にないことに、多少は救われ、前に向かうことをやめないでいることができるのは、子どもじみていますが、少しばかり嬉しいことです。

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