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ブルシット・ジョブとエッセンシャルワークをめぐる労働観論の意味とは?:<コロナ禍の思想>から考える-2

少しずつ、よくなる社会に・・・

日経が、1月下旬から連載していた<コロナ禍の思想>シリーズ。
最終回第7回に、宗教学者であり、現在上智大グリーフケア研究所所長を務める島薗進氏の小文
支え合うケア、新たな共助」を読んで考えるところをメモしたのが以下の記事

⇒ 宗教および宗教家、宗教学者に何を期待するか:<コロナ禍の思想>から考える-1(2022/2/7)

今回は、もう一つ気になった、連載2回目の社会学者 酒井隆史氏へのインタビューに基づく小文
転倒した労働の価値 広い時間軸で現代問い直す」を取り上げたいと思います。

ブルシット・ジョブとエセンシャルワークを問題化することにどれほどの意味があるか

ブルシット・ジョブはだれが創ったのか、なぜ生まれたのか

人間は労働からの解放を目指して産業と社会機構を発展させてきた。経済学者のケインズは、自由な市場原理に基づく経済成長や産業合理化、日進月歩の科学技術を根拠に「孫たちの経済的可能性」(1930年)を書いた。世界を成立させるのに不可欠な労働は減少し、週15時間働けば十分な時代が到来する、と予言した。
ところが、現実は異なる。コロナ禍では在宅ワークなどの新しい生活様式が生まれ、仕事の要否を検討する必要に迫られた。すると、実は何の役にも立たない、仕事のための仕事が多くあったことに気づかされた。手間のかかる書類作成、無意味な会議や部下の管理……。こうした仕事は「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」と呼ばれ、自分の仕事が不要だと自覚した人たちから共感の声が集まった。

 ケインズの予測の誤りの話は、ベーシックインカム論においても引き合いに出されるものです。
 しかし、誰もそれを咎めることはなく、現実に眼をやるべきことを確認してきています。

 そして、コロナ禍におけるテレワークなど従来にない働き方を経験するうちに、「何の役にも立たない」ブルシット・ジョブが多いこと、自分の仕事が不要をであることを強く認識させられることになったというのです。

 しかし、役にも立たない仕事は、従前から多々あったわけで、それに気が付かなかっただけ、気づきを求められなかっただけ、そういう問題意識を持たずにやり過ごしてきただけです。
 いわば、ムダな仕事・作業を合理化・効率化すべき、と日常業務の中に課題化して取り組み、継続して改善や改革を具現化し、組織内からブルシットジョブを排除すべく努めてきた企業・事業主は多々存在しました。
 コロナ禍は、ブルシット・ジョブを顕在化させ、不要な仕事が多いことを気づかせた面は確かにあるでしょうが、それよりも重大な問題は、仕事をする機会自体奪われ、ジョブもワークも失ってしまう人が多数出たことの方でしょう。
 そこでは、ブルシットジョブ、エセンシャルワークをめぐる議論が不要・不毛でもあったわけです。

理解しにくい、ブルシット・ジョブとエッセンシャルワークの価値と評価の転倒

一方、医療や介護に従事し「ケア階級」と呼ばれるエッセンシャルワーカーの存在も際だった。感染リスクと最前線で闘う彼らの仕事は社会の維持には欠かせない。だがその価値とは裏腹に、低賃金・重労働など労働条件が悲惨な場合も多い。コロナ禍では、ブルシット・ジョブとエッセンシャルワークの価値と評価の転倒した労働観が浮き彫りになった。

 何回か読み直してみるのですが、この「2つの価値と評価の転倒した労働観」という意味が、今ひとつ理解しにくい観念・概念です。
 そして、この2つを並立させて議論することの意味・意義にも疑問がわきます。
 結局、次のパラグラフにある、労働価値に焦点を絞らざるを得なくなる。
 そう読みます。

その労働観転倒の原因としての労働価値の数値化、価額化

こうした転倒が起きたのは、近代以降、労働の価値を数値化したことが一つの原因だ。資本主義は爆発的な経済成長をもたらし、人々の生活を豊かにした。その過程で、商品を生産するなどの成長と結びつく労働だけが価値を認められる、市場の論理が作られた。

労働の価値の数値化には、2つの領域があります。
労働が生み出す生産物・商品・サービスの価格付け・プライシングと労働自体の価値である賃金です。
付け加えると、前者の効率性の基準として人の投入労働量を分母とした労働生産性、後者の判断基準としての労働分配率などが、別の観点での労働価値の表現といえるでしょう。
当然それは市場の論理に組み込まれたものといえますが、より狭い範囲での経営の論理に位置付けることの方が適切と思います。
しかし、これは、事業・経営の継続性・持続性を維持するための基準・指標ともいえ、否定的な意味合いで用いることには、違和感を持ちます。

本来生産性を求めることが不適切なケアワークの本質を明確に示すべき

一方、ケア階級などの生産に直結しない、数値で測ることが難しい労働は、市場価値が中心の世の中で不可視化された。彼らはコミュニティーを成り立たせるのに欠かせない存在だが、「やりがい搾取」に近い働き方を強いられた。
経済成長に頭打ちが見えた20世紀末、「生産と消費が社会を豊かにする」という幻想が崩れた。この事実に気づいた資本家たちは、生産以外の新しい既得権益を模索し、既存のパイを独占し始めた。コスト削減を名目に製造業などの労働者を切り捨て、ブルシット・ジョブを生み出した。

ケア階級の仕事だけが、市場価値社会の中で、「やりがい搾取」に放り込まれたわけではありません。
製造業においても、ITサービス業においても、流通サービス業しかり、非正規雇用というコスト低減システムを市場価値社会に蔓延させてきたことも、ケアワークの低評価への停滞、ブルシットジョブの顕在化と同次元のことといえると思います。

社会を維持している労働の再評価に、資本主義は不適切なのか?

コロナ下では、利益にならない医療資源を削減し、経済を優先する政策も一部に見られた。だが、私たちはこの社会を本当に維持している労働とは何かを知ることができた
経済なくして生命は成り立たないが、経済の土台に生命があることを忘れてはならない。ケア階級の人々をこの災禍の一時的な英雄にしないためにも資本主義とは異なる論理を立てて再評価することが求められている

日常の中で、保育や介護がもつ意義や意味、不可欠な社会基盤であることは、感じていることでしょう。
コロナ禍における医師や看護師の労苦に対する感謝と評価についてはことさらの感はありますが、一時的に英雄視するという表現が適切とは思いません。
介護や保育などのケアワークが、その労働価値を適正に評価されないことは、果たして資本主義社会ゆえのことなのか。
私は、そうは考えていません。
例えば義務教育教員の労働価値は、それなりの文化的・歴史的・社会システム的背景で確認できるように公務員価値として安定化されています。
ところが保育や介護では、その本来公的な業務が民営化、民間への移管が進められ、一見市場価値体系の中に組み込まれてしまった結果の現状です。
しかし、介護保険制度は官製のもの。
この官製システム自体が、民間化した介護事業における労働価値を抑え込む役割を果たしているのです。
保育も元来公営が主であったものが、社会福祉法人を含めて、外部サービス化を推し進めたことで、労働価値が看護職のように認められることがないまま放置されてきたといえます。
こうした状況を一面から見れば資本主義による外部サービス化が要因とされるでしょうが、根本的・本質的要因は、国政における社会保障制度の在り方に発していることにあります。
すなわち、資本主義経済における社会保障制度の在り方、その制度・システム設計上の課題です。

多くの価値の逸脱・転倒を、既存の理論、システムから離れて問い直す

転倒が起きているのは労働観だけではない。政策より誰を選ぶかに躍起になる選挙や、本来の教育目的から逸脱した学校など、目的と手段の転倒は社会の隅々にまん延している。人間は本来、何を望んでいるのか。何を求めているのか。資本主義を含め、既存の理論やシステムから離れて問い直すことが必要だ。そのために、私たちは想像力を持っているのだから。

人間が本来望むもの、求めるものはなにか。
非常に難しい課題を提起したものです。
見直すべきものやことが多すぎるゆえに。
問題は、どの問題にだれが取り組むことになるのかであり、そのことに対して、理解・同意を得ること自体が課題になります。

「市場価値」中心の現代を捉え直すために、歴史が不可欠か

ブルシット・ジョブの問題を指摘した文化人類学者のデヴィッド・グレーバーを筆頭に、人類史や考古学の知見を用いて現代を捉え直す機運が高まっている。コロナ下の日本では「人新世」(人間の活動が地球環境に大きな影響を及ぼす地質年代)にも注目が集まった。
市場価値を中心にした活動の影響が、不可逆な所にまで来たことに多くの人が気づき始めた、ということだろう。時間軸を広げ、全人類史に参照先を見いださねば、私たちは生き残れないのかもしれない。

「市場価値を中心にした活動の影響が、不可逆な所にまで来たことに多くの人が気づき始めた。」
こう最後に結論づけ、その対策を考える上で、過去に立ち戻り、人類史や考古学など全人類史を参照すべきとする。
しかし、こうした問題は、コロナ禍において初めて顕在化したものではありません。

人は歴史に本当に学ぶことができるか、あるいは学ぶべきか

歴史に成功事例があったとしても、時代背景・社会環境は異なり、そこで生き、活動した人々が異なる人間です。
言葉も文化も違います。
成功も失敗も本質は共通であり、そこから何かが学べる。
それならば、人類は、ここまでの失敗は未然に防ぎ得たでしょうし、コロナ禍に翻弄されることもなかったはず。

保育や介護などのエセンシャルワークの問題については、10年以上前から予想されていたことが大半です。
予想され、警鐘が鳴らされていても適切な対策が取られてこなかった。
それよりも、今の経験・体験をすぐにこの先に行かす方法・方策をイメージし、創出する。
その取り組みが不足し、持続しなかったことが改善・改革が図られてこなかった原因です。

その検討・対策が遅くなれば遅くなるほど、過去のものとなっていく。
大きな問題が顕在化し、再度議論・検討をやり直す。
過去の歴史に習おう、学ぼうとすると、そのためにまた新たなエネルギーと時間とコストを掛けることの繰り返し。
また、語り伝えることにエネルギーを投入しても、情報の鮮度と意欲は減衰し、一層のエネルギーが必要になる。

学者・研究者の役割とは

私は、社会学は実学であるべきと考えています。
従い、必要に応じて、労働社会学、経済社会学、経営社会学、介護・高齢化社会学、保育・少子化社会学など、関連する領域への拡張を、現実的な改善・解決策の提起を加えて行なう必要があると思います。
決して、観念論や歴史論に立ち戻ることが役割ではないと考えます。

それにしても、社会学者の役割とは一体何なんでしょう。
人文科学・社会科学学者および研究者の役割は?
歴史を重視する姿勢そのものが、ある意味学者・研究者の必要性、存在意義・存在価値、そしてその職業における労働価値を(自ら)高めることになる。
そんな我田引水、自己正当化の知恵のような感じをもってしまうのは、浅薄非才な者の性、あるいは僻みでしょうか。


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